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岡田 武史 インタビュー 第2回
サッカーを通じて生存競争に勝てる地方に
―日本代表の監督をされてきた岡田さんが日本のサッカーの型を作ろうということで、ある程度コミュニティー感を持って、ひとつの新しくチャレンジできる場所としてこのFC今治を選ばれたわけですけど、それには可能性を感じられていますか? あまりにもレベルが違うと思うんですけど。
「サッカーにおける可能性は、もう十分いけると思ってるよ。でも今治でやるって決めてから、得意の妄想みたいなのが出てきてさ(笑)。FC今治だけが強くなっていってね、JFL上がって、J3上がって、J2上がってって、それは十分可能性があると思ってるんだけど、それだけじゃつまんないなと。地元の少年団とか、中学校のサッカーも高校のサッカーもみんな一緒になって、ひとつのピラミッドを作ろうと。少年団の指導者たちには、3年後ぐらいからうちはスクールしかやらない、要するに週末の試合をやるチームは持たないと。今は持ってるんだけどね。その代わりみなさんのところで試合を、うちが指導者を派遣したり、もし要望があったら指導しますし、みんなで盛り上げていきましょうと。高校のサッカーも全部回って、研修会やったり、コーチ派遣だってなんでもします。みんなでひとつのピラミッドを作って、その頂点のFC今治が面白いサッカーして強くなったら、おそらく日本全国から育成に入れてくれとかね、そういう子どもたちだったり若者が集まってくると思う。指導者も勉強したいって絶対来るよ。」
サッカーを通じて世界平和への草の根の貢献
―ええ、日本全国から集まると思います。絶対。
「俺、アジアからも来ると思うんだ。そしたら、おじいちゃんおばあちゃんしかいなくなった家にホームステイさせたりして、この子の食事どうしたらいいっておじいちゃんおばあちゃんの料理教室だったり、外人が来たら英会話教室だったり、なんか気がついたら17万の今治が妙にコスモポリタンでね、若者がいっぱいいて活気があるなというような、今流行りの地方創生なんだけど、なんかそういうイメージが湧いてきてさ。サッカーをきっかけにそういうのをやろうよと。それとともに、今年も育成の国際大会やるんだけど、アジアからもたくさん来るだろうし、今作ろうとしてる『岡田メソッド』をASEANや中国に売っていくっていうビジネスモデルも考えてるんで、そういういろんな国際交流が、国境というボーダーじゃないボーダー、サッカー仲間というボーダーで、何かしら平和にも貢献できるんじゃないかと。
―もしかして中国に行かれてたのも
そう。やっぱり俺が中国のクラブチームの監督に行ったのも、そういうとこがひとつあってね。日本で新聞とかテレビ観てたら、『中国、この野郎』って頭来るんだよね(笑)。ほんとかなあと思って行ってみたら、違うわけなんだよ。2年間いて、俺1回もイヤな思いしなかったし、たいした成績でもないけどサポーターはずっと俺を応援し続けてくれるわけだよね。俺が帰るって言ったら60人ぐらい空港に来て『帰らないでくれ』ってみんな言ってくれるし、尖閣のデモの時はクラブの人が気を使って『監督、気分悪いだろう』と。それで俺、オーナーの別荘に行ってた。別荘で俺、クルーザーに乗ってたからね(笑)。青島のヨーカドーが燃えたりとか出てたけど、燃えてないヨーカドーもいっぱいあるわけよ。そりゃあ反日教育されてるから、日本人は大好きじゃないよ。でもそんなことよりも、自分のたったひとりしかいない子どもを戦場に送りたいと思ってる親は、中国人でひとりもいないよ。日本人だっていないよ。それなのに一部の人で引くに引けなくなって争いになりそうだっていうのは、まあ俺にできることはサッカーだから、そういう絆を作るしかないけど、おかしいと思うわけよ」
「父親として、自分の子どもたちに何ができるのか」という思いが活動の原点
「やっぱり俺らの世代っていうのは70年間戦争がなくて、高度成長っていう最高の時代を生きてきたわけよ。俺ね、日本を救おうとか人類救おうなんて思ってないよ。俺の3人の子どものことを考えてるだけで、その子どもたちにどんな社会を残そうとしてるんだって。一千兆円の財政赤字に、年金不安に、隣国との緊張、環境破壊。俺、親父としてこのままでいいのかなっていうのが、すべての活動の原点にあるわけよ。だから若い人たちに生きる力をつける野外体験活動もそうだし、環境活動もそうだし、俺はほんと小さな人間かもしれないけど、3人の子どもたちに俺は父親として何ができるんだっていうところが原点にある。この活動もやっぱりそこに根っこがあるわけ、自分にとって」
ーなるほど。単にサッカーのクラブを強くするとかじゃなくて。
「うん。つまんないじゃん、それだけじゃ。なんて言ったら怒られるな(笑)」
ー(笑)最近世間を騒がせてる国際的平和、価値観の相互理解とか、東京一極集中で他の地域がどうやって盛り上がっていくのかっていう話もすごい課題になってますし、またお年寄りとか子どもたちはどうコミュニティー、共同体を作っていくかという問題も全部含めて、ある種サッカーっていうものを軸にしながら、なんとか解決の糸口を作っていけるんじゃないか、みたいなことを考えて。
「チャレンジしなきゃいけないと思うんだよ。地方のJリーグのクラブを例に出して言うとね、地方は少子高齢化とグローバル化の一極集中で、どうやったって負のスパイラルに入るわけよ。これからどんどん地方消滅とか言われてるけど、そういうところが、どうやって生き残るかっていうところとつながると思ってるんだよ。外から人と金が入ってきたら、どっかからなくなるんでしょと。その通りなんだよ。だから今はダウンサイジングして、生活のレベルを落としたりしてっていう人もたくさんいる。それも悪いことじゃない。俺も環境派でそういうタイプだったから。でも俺、最近思うけどね、『競争なんかしないでみんなで』って言ったりするけど、最低限の生存競争には勝たなきゃいけない。でも、それ以上の競争はする必要はないと。映画の『ランボー』で牧師がみんなを平和にするって言って行くんだけど、ランボーが『バカ、戦場行ったら殺されるぞ』『いや、私はもう命を懸けて』って言うんだけど、自分の妻が殺されそうになったらバーンってピストルで撃ち殺すという、これは生存競争なの。ああ、俺大変なことしちゃったって、それは生存競争なんだよ。そこをみんな間違えて、きれいごとすぎてたりするような気がして。俺はこの今治で、その生存競争に勝つ地方づくりにチャレンジしてるつもりなんだ。よく俺の昔の仲間から『おまえ、昔言ってたこととちょっと違うんじゃない?』って言われるけど、昔はやっぱりもっときれいごとの、原理主義的環境派だったからさ。でもやっぱりここで、そういうチャレンジしなきゃいけないっていう気がしてるんだよ」
ー先程、地域の方、自治体の方だったりとか高校の方とかに何をやりたいのか伝わってきたということをおっしゃってましたけど、今のようなお話をされて、ほんとにサッカーだけの話じゃないんだと。
「そうそう、それがわかってもらえてきた」
今治に『集いの場』・『祭りの場』を
ーなるほど。たとえばヨーロッパとか見ると、都市としてはすごい地方の場所でもサッカークラブが盛り上がってたりとか、サッカークラブが中心となって街づくりができてるっていうところが事例としてあるわけですよね。そういうところと比べて見た時に、今治に今足りないもの、課題意識として見えてきたものなどはありますか?
「一番はやっぱり場だよね。たとえばうちのクラブが優勝したらサポーターたちが集まる場だったり、何かあった時にみんなが集まる場が、ヨーロッパなんかだったら必ずドゥオモ広場だとか、市庁舎前広場とかある。日本では昔は寺社仏閣だったんだけど、街が大きくなったから大きな寺社仏閣あるとこはあるよ、でもほとんどの都市ではそれじゃ間に合わなくなった。そういう、みんながひとつになる祭りをやる場がない。祭りっていうのは単なるイベントじゃなくて、1年かけて『よし、来年うちのグループはこういうことやろう』っていう、コミュニティーのつながりなんだよね。世代間がつながる、ものすごい大事なもの。それがサッカーでも祭りだと思ってるんだけど、その場、つまりスタジアムなんだよ。ほんとの市庁舎前広場ができたらそれでもいいと思うんだけど、スタジアムがそういう場になってみんながひとつになっていく。そういう意味で、俺は8年後にスタジアム作るって言ってるんだ」
ー確かに日本代表戦の時とか見ても、若い人たちは祭りをしたいんですよね。ただ、やり方がないんで。
「場所がないじゃん」
ーとりあえず渋谷のスクランブル交差点に集まって、結果危ないという。
「そしたら警察が来て止めちゃうとかな。そんなもの、やらせればいいじゃん。車とか止めて場を用意してちゃんと騒げる環境をつくってね」
ーでもそれが交流の機会になるとか、日本っていうある種アイデンティティを感じるとか、それはクラブでもあると思うんですよね。そういう装置がうまく持てていないと。
「そう思う。今、日本では」
岡田 武史
大阪府立天王寺高等学校、早稲田大学でサッカー部に所属。同大学卒業後、古河電気工業に入社しサッカー日本代表に選出。 引退後は、クラブサッカーチームコーチを務め、1997年に日本代表監督となり史上初のW杯本選出場を実現。その後、Jリーグでのチーム監督を経て、2007年から再び日 本代表監督を務め、10年のW杯南アフリカ大会でチームをベスト16に導く。中国サッカー・スーパーリーグ、杭州緑城の監督を経て、14年11月四国リーグFC今治のオーナーに就任。日本サッカー界の「育成改革」、そして「地方創生」に情熱を注いでいる。