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吉武 博文 新監督インタビュー 前編

吉武 博文 新監督インタビュー 前編

 2011年のU−17ワールドカップ(W杯)で、U−17日本代表が18年ぶりのベスト8進出を果たした。フランス、アルゼンチン、ジャマイカと同居した1次リーグを2勝1分けで首位通過し、決勝トーナメント1回戦はニュージーランドに6―0と大勝、準々決勝はブラジルと対戦し2―3の接戦を演じた。
 その2年後、再びU−17W杯に臨んだ日本代表はより洗練されたサッカーによって、各国代表を相手にほとんどボールに触れさせず、圧倒的なポゼッションを誇り、常に主導権を握るサッカーを貫いた(結果はベスト16)。そのチームの監督を務めていたのが今年からトップチーム新監督に就任した吉武博文である。
 その吉武博文新監督の独占インタビュー、今年の抱負、目指すサッカーについてつぶさに語っていただいた。

点と点がつながって今治に、世界に通用するクラブを目指して!

―まず最初に、改めて今治に来た経緯、岡田さんと出会った経緯についてお話しいただけませんか?

 折角(FC今治公式HPへの掲載)なのであまり(外のメディアに)話していないことを話しますね。
 ちょうど、日本サッカー協会を首になったのでフリーだったですよ。それで次の職と考えた時に、現場が良かったんですね。日本サッカー協会から他の仕事のオファーもあったんですが、やっぱりチームがあった方が良いと思っていて。なので、契約が満了していて、岡田さんがクラブのオーナーになるということで、今治に来たんです。
 5年ぐらい前からよく言っていたのですが、日本で世界に通用するようなクラブをつくれるのは岡田武史か中田英寿しかいないと。そのポイントは2つあって、世界のサッカーを知っているということ、そしてお金を集めることができるということ。それができるのは世界でこの二人しかいないと思っていて。もちろん、今後はもっと出てくると思いますけど、今はその二人しかいないと。
 本当に岡田さんがクラブを始めるとは思っていなかったので、それがオーナーとして始めるということで、一緒に仕事できたら楽しいだろうなと思っていました。でも、まさか自分に声がかかるとは思っていなかったんです。本当に。それに、最初は僕、声をかけてもらった時も一緒に仕事をするとは思っていなくて、せいぜいアドバイスをして欲しいというぐらいのニュアンスかなあと思っていて。でも、本当はそうじゃなくて、もうどっぷりクラブに入って一緒にやってほしいということだったので、オファーを受けてすぐ二つ返事で答えました。
 というのが今治に来た経緯です。

―最初に岡田さんと出会った、あるいは一緒に仕事をしていたのはいつ頃で、どんな感じの出会いだったんですか?特に7.26事件・記念日についてもお聞かせいただければと思います。

 最初というのは、まず同じ時期に代表監督(U-17)をやっていたんですね。だけど、岡田さんはもう雲の上の人で、岡田さんのことはいろんな本や雑誌やニュースとかいろんなところで知っているという状況ですよね。でも、同じ年、2009~2010年に代表監督(U-17)をしていたので、(トップからユースまで)一貫指導をしないといけないという流れの中で会議を、一回だけだったかな、2時間ぐらいの会議を同席させてもらって。それがきっかけになって、自分の代表の仕事、世界大会が終わった後に慰労してあげようということで、3人で食事をしようということになって。その3人のうちのもう一人が代表についていたテクニカルの和田さんという方で、その和田さんは高司さん(FC今治オプティマイゼーション事業部長)と知り合いで。その7.26事件というのは、その和田さんが高司さんを介してある著名なスペイン人コーチの話を聞かないかと僕に声をかけて、岡田さんにも声をかけていて、そしたらたまたまみんな一緒の所に集まったと。

―まさにスティーブジョブズがいう点と点を結ぶという感じで、それぞれの点が何かのタイミング・きっかけで一つにつながった瞬間というのが7.26事件というわけなんですね。

 そうなんですよ。でも、まだ7.26事件の時には岡田さんがクラブのオーナーをするとも知らないし、そのスペイン人コーチの話を聞いて興味深い話ですごい面白い話だということしか分かってなかったわけで。それから1週間以内に岡田さんからもう一回話をしたいと電話があって、そのこと(スペイン人コーチとの話)について話をしたいんだなというぐらいしか思っていなかったんです。でもその時、岡田さんの頭の中ではクラブのオーナーをすると決めていたんだと、今は思うんですよね。

―で、先ほど最初にお話しいただいことにつながるわけなんですね。

 はい。でもその時はまだ代表の仕事があったので、最終予選に行く前で、次に一緒に仕事をするという絵は描きにくい時期で。
 その頃岡田さんに何回か聞かれたのは、「いつその仕事は終わるんだ、いつ切れるんだと」いうようなことを聞かれて。「世界大会に行けば来年まであるんですけど、負ければそこまでです」と答えていて。
 でも、岡田さんは当然負けることなんて望んでいなくて、「お前そんなこと言うな」、「負けたら終わるなんて言うな」と。だから、やっぱり岡田さんはアジアの戦いの厳しさを知っているんで、そういう精神的な弱みは少しでもあっちゃいけないということが分かっていたんだなと、今思えばですけど。

サッカーを楽しむ

吉武博文監督No.1

―吉武さんと言えば、育成年代の指導で大きな実績を残してこられたスペシャリストというイメージがあるんですが、その指導の中で哲学的に大切にされていることは何でしょうか?

 まずはサッカーを楽しむということですね。いやいやサッカーをやる、やらされるというものではないと。
 サッカーはスポーツだし、遊びでもプレイでもあるんで楽しくないといけない。でも、その楽しいというのは、英語のFunnyという面白さではなくて、サッカーの本質に触れることが楽しいというものであるべきかなと。(ゲームの中で)自分のプレイを判断したこと、あるいは自分がやりたいと思って決断したことが実行できて、そしてその決断で良い結果が得られて、イメージしたことができる楽しみ、それが一人ではなくて、複数人で、ピッチに立つ11人で実行できる、そういう楽しみだと思うんです。
 でも僕は、サッカーはもっと多くのメンバーで、チーム全員でやるものだと考えているので、登録メンバー全員だけでもなく、クラブの選手が30人いるんだったら30人全員でそれを達成する、ということが集団ボールゲームでの楽しみだし醍醐味だと思っているので。それを達成したいといつも思っています。

―そういう意味では、岡田さんがよく言っているスポーツの語源、あるいは自分でリスクを取って判断してチャレンジするというのがサッカーの究極のエンジョイだということと非常に通じ合っているんですね。
(スポーツの語源として岡田さんがよく話をしていることは、「スポーツ(sport)の語源は、Disport。[Dis] は接頭語で離れるという意味で、[Port] は港。港を離れる、つまり、港の内から外へ出るという意味。秩序のある安寧な陸から自由な大海原へと、解放されることで遊び楽しむこと。それがスポーツの本質である」ということ)

 そうですね。自分は岡田さんみたいにきっちりと分類できていなかったんですけど、岡田さんの話を聞くと丁寧に分類・整理されていて分かり易いし、そういう考えの伝え方って上手だなあと。

U-12チームの全国大会出場は岡田メソッドの一つの成果

U12県優秀集合写真

―その吉武さんは、昨年はメソッド事業部長として、岡田メソッド、サッカーの型を創るという仕事をしながらも、そのメソッドをトップチームに反映して落とし込んでいくという仕事を1年間されていたわけですが、1年を通して、どういうことを成し遂げられた、あるいは感じ考えられたんでしょうか?

 やはり、落とし込むのは難しいというのはすごくありますけど、若い年代でやるべきことをしっかりやって、16・17歳からはもっと違うことをやらないといけない、ということを強く感じましたね。反面、大人(トップチーム)でやってこれだけ出来るんだから、子どもからやればもっともっと実績や成果は出せるし残していけるんじゃないかという手ごたえみたいなものは非常に強く感じましたね。
 仕事自体は、自分のライフスタイルに合っていて、何もないところから何か新しいものを作り出していくという仕事ですごく楽しい1年間でしたね。裏を返せば、メソッド事業本部長、途中からは本が取れてただの部長になりましたけど、その立場から言いたいこと言うべきことを自由に言えるっていうことは(これまでの仕事と違って)すごく楽しいことでしたね(笑)。

―そういう岡田メッソドの一つの成果が、U-12の全国大会出場という形で花開いたと思うんですが、吉武さんはいかがお考えですか?

 そうですね。(岡田メソッドが)すごい大きな刺激になったんだと思います。
 岡田メソッドというと、ピッチの方法論からクラブ経営の在り方まですごく大きなもの、いろんなものを含めてメソッドだと思うんですけど、若い子供たちというのは感受性が豊かなんで刺激を受ければかなり変わっていきます。今治地区からU-12の選手たちが全国大会へ出場したのは初めてだと聞いていますし、岡田さんが来てメソッドを創り落とし込み始めた年にそれが起こったというのは、単なる偶然では決してないと思っています。
 確かに、メソッド自体がトップチームと同じように育成年代に落とし込めていて実践できているかというとそうではないですが、育成のコーチたちは必ず週1回はトップの練習を見に来ていて時には一緒に指導をやっていたわけですし、メソッドについても週1回ミーティングをしてトップの練習内容やメソッドの基本項目を共有して落とし込みをしていたので、そうした部分が育成コーチの指導にも出てきてメソッドが反映された結果だと思っています。

吉武博文監督プロフィール写真

吉武博文

大分県立大分上野丘高校でサッカー部に所属し、インターハイ、国民体育大会に出場。大分大学を卒業後は蒲江町立深島中学校に数学教師として赴任。その後、大分市立明野中学校に赴任してサッカー部監督に就任。同校では永井秀樹や三浦淳宏らを指導した。その後、大分トリニータU-15コーチ、日本サッカー協会ナショナルトレセン九州担当チーフコーチ等を経て、2009年にU-15日本代表監督に就任、2011 FIFA U-17ワールドカップの出場権を獲得後、U-15とU-17日本代表監督と兼任することになった。2011 FIFA U-17ワールドカップでは18年ぶりにベスト8に進出し、フェアプレー賞も受賞。
2015年にFC今治のメソッド事業本部長に就任し、2016年からFC今治のトップチーム監督を務める。

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/ 共生社会実現パートナー

エグゼクティブパートナー