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岡田 武史 インタビュー 第1回

岡田武史インタビュー第1回見出し

これまで二度サッカー日本代表の監督を務め、ワールドカップ出場へ導くなど、日本サッカー界を牽引してきた岡田武史。
その後アジア全域で活躍していた彼が、2014年11月に四国地域リーグ「FC今治」のオーナーへの就任を突然発表し、大きなニュースになった。
なぜ、そのような決断をしたのか?
いま何を考え、何を見据え、何をしようとしているのか。
これがサッカー人生最後で最大のチャレンジだと語るその想いを、丁寧に語り明かしたロングインタビュー。

今治から、世界で勝つための
日本サッカーの『型』をつくりだす

ー今治は慣れましたか?

「もう慣れてるよ。ただ運転の道は相変わらず変なとこに行って間違えてっていうのをやってるけど、街自体はもう何年も来てるからね。でもようやく全体像の位置感覚がわかってきた。まだナビがないとあちこちは行けないけど、練習場ぐらいは来れるようになった」

ー今治に来られるのは、これで何回目ぐらいなんですかね。

「来るだけだったら98年から来てるから、年に2、3回。今治の先輩の会社の役員をやってたんで、その役員会や研修なんかで来てるんで、回数だけで言えば40回ぐらい来てるんじゃない? でも1泊とか2泊とかで、1週間単位で来るようになったのは去年の9月から」

ーここのトレーニング施設の看板も、実は3年前に岡田さんが来て書かれて、それが今まさかオーナーになるっていう。

「いや、俺が来て書いたのかな。来たのか。市が運営してる、環境教育プログラムの『自然塾』っていうのがあるんだけど(しまなみアースランドにある今治自然塾のこと。)」

ー倉本聰さんが塾長という

「そう。『自然塾』の看板は、俺が中国のクラブチームの監督やってて鹿児島でキャンプした時に、市の職員が来て書いてくれっていって、それで書いたのをそっちに転写したんだけど、ここはここで書いたのかな。ちょっと覚えてないけど。2ヶ所俺の下手な字が、まさかこんなみんなに見られてると思ってなくて(笑)」

ーいやいや、達筆でしたよ(笑)。そういう結構縁のある場所だったわけですけど、オーナーになられて、足繁く通われるようになって5ヶ月、オーナー就任発表されて3ヶ月経ちましたけど、景色とかはいろいろ変わってきましたか?

「景色っていうか、今治の人たちの反応が最初は『何事だ?』っていう感じだったのが、ここへ来てようやく僕が何をやろうとしてるかとか、そういうことが浸透してきて、やっぱりすごい反応だよね。この前、市長とこっちの財界の人が『岡田武史を迎える会』っていうのをやってくれたんだけど、まあほんとにものすごい盛り上がりで、反応がすごくて。今治っていうそれほど大きすぎない街だからこそ、街に一体感が出てきた感じを今、手応えとしてつかんでるね」

自由な発想は自由なところから生まれない

岡田武史インタビューNo.1

ーいろんなところでお話されてるとは思うんですけど、今回FC今治のオーナーになった理由というか、いきさつに関しては。

「昨年のブラジルワールドカップが終わって、日本のサッカーがどうだ、どうなるべきだとか、いろんなことをサッカー仲間と議論をしてる中で、ある有名なスペイン人のコーチと話してたら、『岡田、日本にはサッカーの型がないのか』って言うわけよ。『スペインにはあるのか』『いや、あるよ』と。しっかりした型を持ってるっていう話から、どんどんどんどん盛り上がっていって。僕が以前からちょっと思ってたのは、サッカーっていうのはもちろん自己判断しなきゃいけないから、こうやれ、ああやれって監督が命令してサイン出すものじゃない。もちろんそうだけど、その原点にはやっぱりしっかりした型があってね。自己判断が大切ということでミーティングを選手だけでやったり、メンバーも選手に決めさせるのが理想だとかいうことになって。でも、小学生に自分たちでミーティングしろっていうのは無理で。型っていうと『型にはめる』ってみんなイメージするんだけど、そうじゃなくて、共通意識みたいなものを持って、それを飛び出していく。だから自由な発想とか驚くような発想っていうのは、自由なところから出ないと思うんだよ。そういうひとつの原型があるからこそ、それを飛び出した時におっと思うものであって、そういうことを以前から不思議に思ってたところはあるんだよね。じゃあ日本人に合った、日本人独特の、世界で日本人が勝つための型を作ってみようよっていう話になって、どこでやろうかなって考えた時に、Jのチームとかだと1回つぶさなきゃいけないわけよ。それはものすごいエネルギーかかるし、たまたま僕の先輩の関係でFC今治を持っておられたんで、四国リーグだけどちょっと手伝ったりもしてたから、10年かかっても1からできるそこでやってみようかと。Jのチームはほとんど中堅都市だけど、それよりもこういう17万ぐらいの都市のほうがみんながひとつになれるんじゃないかというような気がして、よしやろうと。『やるなら責任持って、株式51パーセント持ってやれよ』ということで、ここでオーナーとしてやり始めることになったんだ」

守破離のような創造的なプロセスを確立する

岡田武史インタビューNo.2

ー日本はサッカーの型を持っていないっていうのは、代表監督をされていた時から感じられていたことなんですか?

「そうだね。もっと前からだけど。俺も型っていうと『型にはめる』っていうイメージがあって、型にはめちゃサッカーはダメなんだと。ヨーロッパなんてそんなことしない、みんな自由にやってるじゃない。ところが彼らはそういう基本的な、型にはめる型じゃなくて、たとえば日本だったらね、いろんな条件が揃ったらかなり強いと思うんだよ。香川がいて、乾がいて、本田がこういうポジションで、相手がこういう戦い方って、全部の条件が揃ったら素晴らしいサッカーになる。ところがその条件がひとつ狂った時にうまくいかない。たとえばアジアカップのヨルダン戦で、本田が点入れたよね。岡崎が左サイドからシュート打って、あれ俺がいつも日本が点をとるためにあのゾーンを取れって言うゾーンを岡崎が取ったわけだよ。この瞬間に本田は走り出してるわけ。だからあのゴールになったの。ほんとは岡崎がパスで本田のシュートが一番理想なんだけど、だからあの点が生まれて、すごい強いなと思う。ところがUAE戦で、同じような状況で岡崎が左サイド抜け出して、そのままシュート打って外したのがあった。その時、本田は走っていないんだよ。要するに、このタイミングであそこのゾーンを取ったら逆サイドも同時に走り出すんだっていうのは、そういう共通の認識みたいな型、たまたま合った時は素晴らしいんだけど、じゃなくて、少々条件が揃わなくても基本形を持ってるんだっていうような、そういうイメージ」

ー確かに日本だと『自由』っていうのと『型』っていうのは、すごい逆の言葉というか。

「そうそう。自由な発想とかは型つくっちゃいけないとかじゃなくて、型にはめるんじゃない型。日本には本来あったんだよ。たとえば、武道や禅の教えとして有名な『守破離』という考え方。型を守り、型を破り、型を離れるってのは、創造のための一連のプロセスで。だから新しい言葉を作ったほうがいいなという気もしてるんだけど。型っていうと、日本人は閉じ込める発想をしちゃうから。それはスポーツって言葉が富国強兵政策の下で『体育』と訳されちゃったことのせいでもあるかもしれないけど。

ーどういうことですか?

スポーツ(sport)の語源は、Disport。[Dis] は接頭語で離れるという意味で、[Port] は港。港を離れる、つまり、港の内から外へ出るという意味なんだよ。秩序のある安寧な陸から自由な大海原へと、解放されること。どこにどうやって行くかは常に自己判断・自己責任の世界。だからスポーツってのは、『体育』で叩き込まれる価値観とは真逆で、リスクテイクの先にある成功の達成感にこそ快感なんだよな。欧州の選手はこういう考え方を当たり前に持っている。だから型を自由のために使うことができる。

ーなるほど。FC今治ではそういうスポーツのマインドの部分から作り直していくんですね。

「そうだね。ただFC今治が目指しているのは、そこだけじゃないんだよ」

岡田武史プロファイル写真

岡田 武史

大阪府立天王寺高等学校、早稲田大学でサッカー部に所属。同大学卒業後、古河電気工業に入社しサッカー日本代表に選出。 引退後は、クラブサッカーチームコーチを務め、1997年に日本代表監督となり史上初のW杯本選出場を実現。その後、Jリーグでのチーム監督を経て、2007年から再び日 本代表監督を務め、10年のW杯南アフリカ大会でチームをベスト16に導く。中国サッカー・スーパーリーグ、杭州緑城の監督を経て、14年11月四国リーグFC今治のオーナーに就任。日本サッカー界の「育成改革」、そして「地方創生」に情熱を注いでいる。

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